私たちは普段、時間を当たり前のように「一定の速さで流れるもの」として捉えています。
朝になり、昼になり、夜になる。そのサイクルは変わらず、時計の秒針は同じテンポで進んでいく。
でも本当に、時間は絶対的に一定なのでしょうか?
時間は「物理現象の進み具合」でしか測れない
時間というのは、厳密には「物理現象の進み具合を基準に切り取った単位」にすぎません。
例えば、時計は振り子や水晶振動子の周期で時間を刻みます。私たちの体も心拍や神経伝達といった生体のリズムで日々を感じています。
つまり、時間の計測は常に何かの現象と比較して行われているのです。
もし仮に、地球上のあらゆる物理法則が一斉に半分の速度になったとしたらどうなるでしょうか。
原子の振動、時計の針の動き、私たちの脳や筋肉の動作も全て半分の速さに。
そのとき、外から見る存在がいなければ、私たちはその変化に気づくことはできません。なぜなら「基準」も「観測対象」も同じだけ遅くなってしまうからです。
それを証明できない理由
私たちが観測できるあらゆるものの時間が同時に均等に半分になる…そんなことはもちろんほとんどあり得ない話ですが、
でも「そんなことは起きていない」と証明することは困難です。
私たちが時間の変化を検知できるのは、異なる速度で流れる基準が存在する場合に限られます。
例えば、精密な原子時計を搭載した人工衛星と地上の時計を比較すれば、わずかな時間のズレでも観測できます。
しかし、もし宇宙全体が同じ比率でスローダウンしていたらどうでしょうか。
比較対象が存在しないため、どれだけ精密な装置を作っても「遅くなった」と判断することはできません。
これは科学というより哲学的な領域の話で、「起きているかどうかは原理的にわからない」という種類の問いになります。
アインシュタインの相対性理論との関係
この考え方は、アインシュタインが提唱した相対性理論とも近いようです。
(実は相対性理論はこれまで名前くらいしか知らなくて、今回の問いを深めるなかで初めて内容を知りました笑)
特殊相対性理論では、光速に近い速度で移動する物体や強い重力の下にある時計は、他の基準と比べて遅く進むことが示されたそうです。
例えば、国際宇宙ステーションの宇宙飛行士の時間は、地上の人よりほんのわずかに遅れます。これは実験的にも確認されているようです。
ただし相対性理論が扱うのは「速度や重力が異なる二つの基準を比較する」場合です。
今回の仮説のように、宇宙全体が同時に変化している場合は比較できないため、相対性理論を使っても今回の問いが起きていない証明はできません。
ちょっとしたオカルトのような面白さ
現実的に考えれば、宇宙全体の物理法則が一斉に変化する確率は限りなくゼロに近いはずです。
それでも「もしかしたら」を完全に否定できないところがちょっと面白いなあと思いました。
例えば、実は今の地球は生まれた時の1万分の1のペースで時間が進んでいる…なんて可能性ももしかしたらありえるんですよね。
なんだか一種の都市伝説やオカルトのような感じがします。
結論としての私の意見
私たちは時間を「一定」だと感じていますが、それは私たちがそう感じる基準の中で生きているからにすぎません。
もし基準そのものが変わっても、私たちはそれを知覚できないでしょう。
これは科学的に証明できる話ではありませんが、「そんな現象が起きていない」ということもまた、証明できないのです。
現代に生きる私たちにとって、発展した科学は絶対のように見えます。
しかし、それはあくまで地球から測定できる範囲の法則の集積です。
宇宙全体や、この世の全てから見ると、地球に関わることですら、まだ私たちが気づいていない事実が数多く眠っているのではないでしょうか。