はじめに:あの頃の音楽の魅力
かつて、日本の音楽シーンには、演奏の完成度よりも、歌詞や世界観、独自の空気感で多くの人を惹きつけるバンドが数多く存在していました。
失礼になってしまうかもしれないので具体的な名前は控えますが、2000年代初頭やそれ以前は音楽技術は多少荒削りであっても、歌詞の力や物語性、独特の雰囲気で強く心を掴み、多くの人の記憶に残るバンドが数多くいました。
特にロックやパンクといったジャンルではその傾向が顕著だったように思います。
ネットの普及で変わった“耳”と音楽の入口
2000年代初頭までは、音楽との出会いは限られていました。TSUTAYAでのレンタルや、友人からの貸し借り、ラジオやテレビ番組が主な入口で、比較対象はそれほど多くありません。結果として、リスナーは曲の世界観や歌詞にまず惹かれ、その後に演奏やアレンジの個性を味わう余裕がありました。
しかし現在は、YouTubeやSpotifyなどで国内外のあらゆるアーティストをワンクリックで聴き比べることができます。録音・編集技術も進化し、配信段階での音質や演奏精度は非常に高い水準が当たり前になりました。そのため、音楽に触れた瞬間の印象が、以前よりも完成度に左右されやすくなったのではないでしょうか。
SNS時代の評価サイクルと“荒削り”の行方
SNSやサブスク時代の音楽は、初めて聴く数秒間で評価される場面が増えました。
そこで耳にする音は、世界中の完成された楽曲と同列に並びます。以前ならライブや口コミを通して徐々に魅力を知ってもらえたアーティストも、今では最初の数秒で印象が決まり、その後の成長や変化を見てもらう機会が限られてしまいます。
この構造では、「世界観や歌詞が光るタイプのアーティスト」が、その魅力をじっくり伝える前に埋もれてしまうこともあるように思います。かつては、音楽的な完成度だけでは語れない魅力が、時間をかけて広まっていくケースも多くありましたが、その余地は狭くなっているようです。
近年のシーンで見かける“世界観先行型”は?
2010年代以降にも、独自の世界観や言葉で熱心な支持を集めるアーティストはいます。
例えばMOROHAは、力強い語りとメッセージ性で熱狂的なファンを獲得していますし、米津玄師さんなんかは当時流行った音楽の影響を色濃く感じるアーティストです。
YOASOBIもスタートは小説を楽曲化するという一風変わったプロジェクトを実現するために結成されたユニットです。
藤井風さんなんかもカリスマ性も相まって人気を博している代表例ですよね。
ただ、これらのアーティストはブレイク当初から演奏や制作面で安定した水準にあり、いわゆる“荒削りな状態”で全国的な人気を獲得したケースには当てはまらないように思います。
YOASOBIもソニーミュージックエンターテインメントのプロデューサーと当時からボカロPとして人気を博していたAyaseさんがタッグを組んだプロジェクトで、現在の反響は予想以上だったとは語られているものの元々戦略的・技術的に成功する土壌があったユニットのように思います。
多様性としての“荒削り”
本来、音楽も市場に流通する作品であることを考えると、どの側面を見てもプロ水準を満たしたものであるべきなのかもしれないし、現代の潮流の方が本来あるべき姿なのかもしれません。
ただ、これは2000年代に青春時代を過ごしてきた懐古的な考え方なのかもしれませんが、
やっぱりあの時代に育っていると荒さや未完成さも含めて味となっていたアーティストというのもそれはそれで一つの魅力であり文化であったようにも感じます。
あの時代のバンドたちの、演奏や音作りだけでなく、その荒削りささえも味となっていた世界観が、ファンにとってのかけがえのない体験になっていました。今、その枠が小さくなっていることは、少し寂しくも感じます。
今後また、2000年代初頭やそれ以前のような荒削りなカリスマアーティストがシーンを席巻するようなことは起きるのでしょうか。