ゲームは「害」?僕たちがゲームから教わったこと

ゲームは「害」で「ただの娯楽」なのか

「ゲームは教育に悪い」「ゲームは1日1時間まで」「ゲームをやると馬鹿になる」——こうした考え方や教育方針を一度は耳にしたことがある人は多いと思います。

たしかに、ゲームにはやりすぎによる運動不足や生活リズムの乱れを引き起こしやすい負の側面があります。
さらに、多くのゲームは、他者とのコミュニケーションがないor限定的で、プレイ中はプログラムの枠組みから外れる出来事もほとんど起きないため、現実社会で求められる柔軟な思考が得にくい側面もあるように思います。

これらが、冒頭のような考え方を生んだ一つの理由でしょう。
しかしゲームは「娯楽」以外の価値を持たない「害」なのでしょうか?
私は上記はゲームが持つ性質の一つであり、それだけによってゲームを「害」と決めつけるのは早計なように思います。

私はゲームは、見方を変えるとスポーツや友達関係、恋愛、仕事などにも並ぶ、人生に必要な学びを得られる一つの分野であると考えています。
一概にゲームを「害」と見なすのではなく、それが持つ特性、功罪を分解して捉えて、自分の人生にうまく取り入れる発想が大事だと考えています。

ゲームでしか味わえない成長体験

名作と呼ばれるゲームは、ユーザーを熱中させるために、プレイヤーを強く引き込み、短期間でそのゲームに必要なスキルを大きく伸ばさせる力があるように思います。
その理由は、多くの名作ゲームが共通して持つ次の4つの特徴にあると考えます。

  1. ゴールが明確であること
    ゲームはプレイヤーが「何を目標にプレイしているのか」「何をすればゴールになるのか」を常に理解できる状態になっていることが多いです。
  2. 失敗の理由がわかりやすいこと
    優れたゲームは負けた時の原因が明確で反省や納得しやすいよう設計されており、反省しようがない理不尽な状況は起こりづらくなっています。
    敗北をすぐに次のプレーに活かすことができます。
  3. 時間のロスが少ないこと
    他分野、たとえば部活なら玉拾いやグラウンド整備、交代による待ち時間などのように、本質的ではないが必要な時間が一定割合を占めることも多いです。
    一方ゲームは、そうしたロスタイムを極力減らすよう設計されていることが多く、純粋な成長体験により多くの時間を割くことができます。
  4. 状況に応じた適切なハードルが提示されること
    多くの名作ゲームはユーザーの状況に応じてちょうど良いハードルが提供されるよう設計されています。簡単すぎず、無理すぎない課題が次々に現れるため、挑戦と成長のサイクルが自然に回ります。

これらの要素が多くのプレイヤーに熱狂をもたらし、自発的で高速なPDCA体験を与えます。
そんなコンテンツはゲーム以外にはなかなか存在しないのではないでしょうか。
こうして得た成長体験は、勉強や部活、仕事など他の分野に取り組む際の成長計画にもモデルケースとして応用できると思います。

ジャンル別に見る鍛えられる力

そのほかにも、ジャンルごとに学べることは多くあります。

RPGから学べる自然な誘導

例えばRPGを分析的に楽しむ人は、ユーザーを自然に誘導するUI/UXの巧みさに気づくことでしょう。優れたRPGには、押し付けがましくなく目標や課題を提示し、あたかもユーザーが全て自分の意思で行動しているように感じさせる工夫が随所に盛り込まれています。

もしゲーム中に「次はこれをしてください」「そのあとはこうしてください」と逐一細かく指示されれば、ユーザーは窮屈さを覚え、やがて離れてしまうでしょう。だからこそ、さりげない誘導でモチベーションを維持し、自然に目的へと導く設計が重要になるのです。

この発想は、ゲーム以外のアプリはもちろん、チームビルディングや教育、店舗運営などあらゆる分野での体験向上にも応用できるのではないでしょうか。

アクションゲームから学べる瞬時の状況判断

FPS(シューティングゲーム)や格闘ゲーム、スポーツゲームなどは、身体こそ動かさないものの、脳の使い方は実際のスポーツに近いと感じます。
私も初めて『Fortnite』や『Apex』に代表されるFPSをプレイした時は、敵に撃たれるとパニックになって無作為に逃げ惑い、そのまま倒されてしまうことが多くありました。

しかし、慣れてくると動きは一変します。まず防御を固めて時間を稼ぎ、その間に「どこから」「何人」に攻撃されているかなどを瞬時に把握。その上で、応戦するか逃げるかを決め、応戦するなら戦い方を、逃げるなら安全な逃走ルートを1秒にも満たない間に判断できるようになります。焦る場面ほど冷静に、そして最短で最適解を導く感覚は、ゲームを通じて身につく大きな力だと思います。

こうしたリアルタイムの状況判断や即決力は、車の運転や現場仕事でのオペレーションなど、現実の場面でも役立っていると感じます。

ローグライクが教えてくれたリスク管理

私は、仕事でリスク管理や戦略的思考が得意だとよく言われますが、振り返るとその原体験は、私が最もやり込んだジャンルである「ローグライクゲーム」にあったように思います。
ローグライクゲームとは、日本では『トルネコの大冒険』や『風来のシレン』などに代表される、失敗すると集めたアイテムや経験値をすべて失い、最初からやり直しになる厳しいルールを持つダンジョンRPGです。プレイ時間を重ねればいずれクリアできるというものではないため、プレイヤーの戦略性や経験、立ち回りのブラッシュアップが求められます。

高難度のダンジョンでは、99階踏破といった長期目標に挑みます。数時間から時には10時間以上に及ぶプレイの中で、各フロアには多様な課題があり、「まさかそんなこと起きないだろう」と思うような1%未満の不運にも何度も直面します。そうしたトラブル一つで、数時間分の努力が一瞬で失われることも珍しくありません。

このようなゲームでは、序盤から終盤までの長期的な計画を練った上で、あらゆる場面で最悪の事態を想定し、そのリスクを少しでも抑える立ち回りが要求されます。
この発想は、今の仕事でも活きており、長期視点での戦略立案や、多くの人が見過ごすような小さなリスクへの事前対策に自然に結びついています。

私はこれまで仕事の中で炎上案件に見舞われたことがほとんどありませんが、それはローグライクゲームによって周りから「考え過ぎだよ」と言われるような小さなリスクまで想定し、未然に対策を考える習慣が身についたからだと考えています。

本質的にはスポーツや将棋、囲碁なども同じ

こういった娯楽に価値があるケースは、もっと身近にも存在すると思います。
例えばスポーツや将棋、囲碁などの分野です。

たとえばサッカー。ルールだけを切り取れば「ボールを蹴って相手のゴールに入れる」というただの球蹴り遊びです。しかし、それは今や世界中で熱狂的に支持される競技であり、プロとして活躍するためには何千、何万人に一人という狭き門を突破しなければなりません。その過程では、ストイックな努力による技術の向上はもちろん、チームメイトや監督との信頼関係構築、戦術理解、心身の自己管理など、多くの学びや経験が必要になります。そしてその積み重ねが選手自身の人間的成長につながり、ファンや社会にも影響を与えるのです。

将棋や囲碁も同じです。これらも単純化して考えればただのボードゲーム遊びです。
ですが、プロの世界では工夫や努力によって技術を高めた上で、高度な戦略や集中力、長時間の思考持久力が求められ、そこには数々のドラマが生まれます。

もちろん、プロまでは目指さず、それらに趣味や部活動として取り組んだとしても得られるものは多くあると思います。いずれも本質的にはただの遊びですが、そこに真摯に取り組む価値を否定する人は少ないでしょう。

ゲームも、まだ上記に比べると成立から期間が短いからその価値に懐疑的な人が多いだけで本質的には同じように思います。最初は一部の人が楽しむ趣味であっても、やがて大規模なコミュニティや産業に発展し、そこで培われるスキルや経験が個人や社会に還元される。こうした「遊びが文化や競技へと昇華していくプロセス」を、ゲームも着実に歩んでいるのではないでしょうか。

おわりに

冒頭の通り、ゲームはもちろん世間で思われているように見方によってはマイナスの面もあります。
でも今回説明したように特性を分解して考えると人生に貴重な学びをもたらしてくれる側面も決して小さくないと思います。

どんなものにだって正の側面もあれば負の側面もある。
運動も大事だけどやりすぎて勉強そっちのけでは良くないし、
恋愛や友達関係だって素敵なことだけど、それで部活や勉強を疎かにするのは考えものですよね。

それと同じでゲームだってある面では人生の糧にはなるし、のめり込み過ぎれば弊害もある。

大事なのは、しっかりとそのメリット、デメリットを理解してバランス良く自分の人生に取り入れることじゃないかなと思います。